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 いけばなのルーツ

いけばなのルーツ


 
 往古、日本人は、山々を覆う森の多くの常緑樹“常磐なる木”が、緑の葉を年中茂らせる姿に、生命の永遠を見て、枯れてしまったかのように見えて、再び蘇る落葉樹の
姿に、神の存在を意識し、独特の樹木信仰 “神よりますもの”(依代信仰)を
持つようになりました。

 今でも神社や神棚に榊をお供えし、新築等の地鎮祭には、榊をたてます。
又、お正月にその年の年神様をお招きする為に門松を飾ります。
能舞台の背景には、依代として松が描かれています。

 このように、日本人は四季折々の自然と共に暮らしながら、草木に深い親しみを
持ち、単に美的対象としてだけでなく、草木を極めて霊性の高いものとし、
一枝の花木にも、深い風興を覚えました。そして、花と出会い、花の美を見つめ、
語り合い、ここに花は、”お花“となっていきました。

 6世紀になって大陸から仏教文化が伝来すると、仏に花を供え(供花)、
花を飾る習慣が、人々の暮らしの中に溶け込んでいきました。

 一方、神仏に関係ないところで、単に美しい花を飾ったという表現が歴史上、
初めて登場するのは、9世紀(平安時代)になってから、「古今和歌集」に
“花をさす”という言葉が現れました。今から、およそ1100年前です。

 その後、「枕草子」の中に、“高欄のもとに青き瓶(かめ)の大きなるを据ゑて、
桜のいみじうおもしろき枝の五尺なるを、いと多くさしたれば“と記され、
いけばなは、“花をさす”という言葉から“挿花”と呼ばれるようになっていきました。
後に、花を “いける” という言葉が使われるようになり、“いけはな” と呼ばれ、
“いける” は、挿ける、生ける、活ける等と、様々な漢字が使われることにより、
現代では、総称して“いけばな”と呼ばれています。

 それから後に、花矩(はながね)を考案し、体系化していきました。
更に、中国古代思想を反映させ、花の構成理論を作り出し、”華道”が誕生して
いきました。

 当流の「華道録」の中にも、”極意によりては野山の姿を一瓶の中に移すとも
自然に陰陽五行備はり、風流の姿勢変化、極まりなく、言外の趣味の生ずるものなり”とあります。

 こうして日本では、”いけばな” が生まれ、様々な流派の”お花”が誕生し、
時代と共に、その時々にふさわしい空間に合わせて変化し、時代のニーズに
こたえながら、“いけばな”を芸術の域まで高めていきました。

 今では、“いけばな” は、世界各国に普及し、世界共通語となり、それぞれの国の方々が“いけばな”の先生となって、活躍されています。


   
   
   
   
   
 
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